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レギナ (バンド) : ウィキペディア日本語版
レギナ (バンド)

レギナボスニア語クロアチア語セルビア語:)はユーゴスラビア連邦ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォ1990年に結成された音楽バンドである。
== 来歴 ==
結成当時、グループにはヴォーカルがおらず、新聞に広告を載せるなどして歌い手を探していた。その後、「Konvoj」というバンドのヴォーカルであったダヴォル・エブネル(Davor Ebner)に出会い、3か月にわたる交渉の末、エブネルがグループに加わる事で合意した〔 〕。
1990年、ファーストアルバム ''Regina'' をリリース。当時のメンバーは、バンドの創設者であるアレクサンダル・チョヴィッチ(、ギター)に加え、ゴラン・ルチッチ(、ギター)、ボリス・ミリヤシュ(、ベース)、ボヤン・ミリヤシュ(、キーボード)、ボヤン・ミリチェヴィッチ(、ドラム)、そしてダヴォル・エブネルで構成されていた 。レギナはユーゴスラビア圏全域で成功を収めた。作詞・作曲を担当するのはアレクサンダル・チョヴィッチで、彼らの楽曲はアイルランドのバンドU2の影響を受けたものであった。
1991年、2番目のアルバム ''Ljubav nije za nas'' をリリースしたが、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こると、メンバーはサラエヴォから別々に避難し、バンドは分裂する事になった〔。「レギナ」としての活動は、2000年にアレクサンダル・チョヴィッチがソロ・デビューするまで、セルビアに避難したメンバーで続けられた。
2000年から2004年頃までは、アレクサンダル・チョヴィッチは「Aco Regina」の名でソロ活動し〔、ダヴォル・エブネルはロックバンド「Punkt」に参加した後、「ダヴォル・エブネルとGruntibugli」というユニットで活動していた。
2004年、メンバーはベオグラードで再会し、現在のメンバー構成でグループを再結成した。2006年にアルバム ''Sve mogu ja'' をリリースし、また、2007年7月にはモンテネグロブドヴァで開催されたローリング・ストーンズのコンサートで、サポートバンドとして演奏した〔。
2009年ユーロビジョン・ソング・コンテスト出場後の6月に、アルバム ''Vrijeme je'' をリリースしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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