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レギナ(ボスニア語・クロアチア語・セルビア語:)はユーゴスラビア連邦、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォで1990年に結成された音楽バンドである。 == 来歴 == 結成当時、グループにはヴォーカルがおらず、新聞に広告を載せるなどして歌い手を探していた。その後、「Konvoj」というバンドのヴォーカルであったダヴォル・エブネル(Davor Ebner)に出会い、3か月にわたる交渉の末、エブネルがグループに加わる事で合意した〔 〕。 1990年、ファーストアルバム ''Regina'' をリリース。当時のメンバーは、バンドの創設者であるアレクサンダル・チョヴィッチ(、ギター)に加え、ゴラン・ルチッチ(、ギター)、ボリス・ミリヤシュ(、ベース)、ボヤン・ミリヤシュ(、キーボード)、ボヤン・ミリチェヴィッチ(、ドラム)、そしてダヴォル・エブネルで構成されていた 。レギナはユーゴスラビア圏全域で成功を収めた。作詞・作曲を担当するのはアレクサンダル・チョヴィッチで、彼らの楽曲はアイルランドのバンドU2の影響を受けたものであった。 1991年、2番目のアルバム ''Ljubav nije za nas'' をリリースしたが、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こると、メンバーはサラエヴォから別々に避難し、バンドは分裂する事になった〔。「レギナ」としての活動は、2000年にアレクサンダル・チョヴィッチがソロ・デビューするまで、セルビアに避難したメンバーで続けられた。 2000年から2004年頃までは、アレクサンダル・チョヴィッチは「Aco Regina」の名でソロ活動し〔、ダヴォル・エブネルはロックバンド「Punkt」に参加した後、「ダヴォル・エブネルとGruntibugli」というユニットで活動していた。 2004年、メンバーはベオグラードで再会し、現在のメンバー構成でグループを再結成した。2006年にアルバム ''Sve mogu ja'' をリリースし、また、2007年7月にはモンテネグロのブドヴァで開催されたローリング・ストーンズのコンサートで、サポートバンドとして演奏した〔。 2009年、ユーロビジョン・ソング・コンテスト出場後の6月に、アルバム ''Vrijeme je'' をリリースしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レギナ (バンド)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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